レッスン教室への送迎が負担と感じている親は意外と多い
こんにちは、ヒロです。
幼少期からピアノを習っていると、小学生になったあたりからマンネリ化してしまう家庭って結構多いです。
中でも、ピアノを辞めるのか、それとも頑張って続けるのかといった最終的な選択を迫られている状況も少なくありません。
子供がピアノ自体に飽きてしまって、レッスンに行くこと自体を嫌がるようになってしまったのであれば、いっそのこと辞めてしまった方が賢い選択かもしれませんね。
新しく空いた時間を利用して、他にやりたいことをやらせてあげた方がその子の将来のためになります。
しかし一方で、子供本人はピアノを続けたいのに、親の都合で辞めなくてはいけない可哀想なケースも、、、。
そのほとんどの理由が、ピアノのレッスン教室への送迎なんですね。
毎週のように続く車や電車、あるいは徒歩での送り迎え。
それが毎年続くわけですから、色々なことを犠牲にして時間を捻出している家庭が大半だと思います。
習い始めの頃はいつも楽しく送迎していたはずなのに、子供が大きくなるに連れ会話も減ってしまったり、、、。
いつの間にか送迎に時間を取られることがストレスに感じてくる親も珍しくありません。
結果的にそのストレスを子供に向けてしまい、酷い態度で当たってしまったりと悪循環な状況。
習っている本人が強い意思表示をしない限り、親側の都合でピアノを辞めさせるという選択をしてしまうのはある意味当然の流れなのかもしれませんね。
でもそれは本当に残念な選択です。
交通手段のない小さな子供にとっては、遠く離れたピアノ教室に通う手段が無いんですよ。
親が協力し続ける以外に、ピアノを習い続けられる選択肢はありません。
親側の都合でその手段を閉ざしてまっては、その子にとってこれから大きな成長が待っているかもしれない可能性をもぎ取ってしまうわけですね。
もし送迎が負担だとしても、本人が習うことを辞めたいと言うまでは続けさせてあげて下さい。
どんな理由であっても、親側の都合だけでそれまで積み重ねてきた子供の努力を無駄にしてはいけませんよ。
我が家は最寄りのピアノ教室を選択した
私には子供が二人いますが、どちらも3〜4歳頃からピアノを習い始めました。
ピアノ教室は自宅から200mほどしか離れていない近所を“あえて”選んだのですが、その理由は先に述べた通り、レッスンへの送迎の負担を減らしたかったからです。
歩いて行くこともできますし、雨なら車でも1分程度。
レッスン中(だいたい1時間程度)は一旦自宅に帰って待機できるのもメリットですよね。
車で30分ほど離れた場所には有名なヤマハやカワイの音楽教室もあり、ホンネを言えば習わせる際には結構迷いましたよ。
個人のピアノ教室は講師によって当たり外れがあるのが実情ですから、、、。
結局アクセス優先で近所のピアノ教室を選び、しばらく習ってみて相性が悪かったら別の場所に変えればいいかな?程度で考えていました。
結果的には物凄い熱意と愛情のある素晴らしい先生に恵まれ、我が家の子供たちの第二の親となってくれています。
ちなみに小さな個人のピアノ教室ですが、全国区のブルグミュラーコンクールファイナルで姉弟揃って受賞(※)するまでになりましたので、教室の規模はそこまで気にしなくて良いと実感しました。
アクセス優先でストレスフリーの送迎をしてあげる環境の方が、間違いなく子供にとってもピアノを続けやすいです。
(※受賞の記事はコチラから↓)
【ブルグミュラーコンクール・ファイナル】幼児部門で銅賞を受賞したが、重要なのは全国レベルを体感できたこと。
【ブルグミュラーコンクール・ファイナル】幼児部門で銅賞となった審査員評価と、さらに上を目指すために必要な壁。
【ブルグミュラーコンクール・ファイナル】小学3・4年Bの出場で、家族全員の協調性が求められることを痛感した。
【ブルグミュラーコンクール・ファイナル】小学3・4年Bの銀賞受賞と、審査員評価から予測する採点基準
(追憶)私の亡き父が残してくれたこと
実は私自身も3歳の頃から高校生まで、約12年間ピアノを習い続けました。
3歳というと今から30年以上前ですが、当時はバブル全盛期。
両親は夜遅くまで必死に働く毎日で本当に時間がなかったのですが、0歳から預けられていた保育園の敷地内に運良くピアノ教室があり、私は託児中の時間帯で通うことができました。
しかし、バブル崩壊と同時に私も小学生にあがるタイミングとなり、隣の市まで引っ越してしまいました。
もちろんピアノは続けていたのですが、教室までの距離が結構遠くなってしまったんですね。
なので、小学校入学後から高校までの10年弱はほとんど私の父が送迎してくれていました。
仕事が忙しい中でも急いで帰ってきてくれて、私を遠くの教室まで送り迎えする生活。
今は亡き父なので、当時当たり前のように送迎されていたことに感謝の気持ちを伝えるすべはもうありませんが、父の苦労があったからこそ私はピアノを長年続けることができました。
そして今でも私はピアノが大好きですし、孫たちは全国レベルで入賞するなど私よりも更に立派なステップを踏んでいます。
全ては当時の父の苦労があってこそ。
父は亡くなる間際、録音した孫のピアノ演奏を聴きながら息を引き取りました。
ちょうどこの記事を書いている今日が父の1周忌です。
1年前のあの日、午後の日が差し込むとても明るい静かな病床で、ピアノの優しい音色に包まれた人生の最期。
正直、父の最期が羨ましかったですね、、、
全てはピアノという一つの楽器が繋げてくれた、「父と私」「私と子供たち」そして「父と孫たち」の人生なんです。
おわりに
繰り返しになりますが、レッスンの送迎が億劫で子供のピアノを辞めさせてしまうような選択は考え直して下さい。
その子にはピアノを通してしか学べない人生がまだたくさんあるんです。
悩んでいる親御さんにたちに後悔してほしくないので、大切なことだと思いこのことを伝えました。
私の亡き父が選択した10年間に及ぶ苦労のように(苦労とは感じていなかったかもしれませんが)、孫の代まで寄与する可能性も十分にありますから。
ぜひ、皆さんも素敵なピアノとの人生を歩んで下さいね。