【仏教】は意外と現実主義?!善悪はケースバイケースでOKという道元の解釈の真意

仏教

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諸悪莫作(しょあくまくさ)

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

このカテゴリーの道元の教えシリーズを全て読み終んでいただけたでしょうか?しっかり読んだ方は、道元が何を考えていたのか大体のことが理解できたはずです。もしまだの方はこの記事を読む前に、初めから読んで見て下さいね(全て1分で読める記事です!)。

 

さて、道元は『正法眼蔵』の中で、最終的に仏教とはいったい何なのかを説いていきます。

 

仏教においては「諸悪莫作(しょあくまくさ)」というメインの教えがあります。これは結論からすると「悪いことをしてはいけない」ですが、それではあまりにも漠然としていますよね?道元はここが最も重要と捉えており、「悪」についてしっかりと説いていますので、あとは私が解り易い言葉で簡単にまとめていきます。

 

諸悪とは、例えば物事の全ての性質を「善性」「悪性」「無記性(←善でも悪でもないもの)」の3つに分類したとします。この場合の「悪性」に含まれるものを指します。皆さんは難しく考えずに、そのまま素直に捉えて下さい。

 

この諸悪に対する道元の解釈を、ひろさちや先生の訳から引用します。

 

この世界の悪と他の世界の悪とは同じであることもあるが違うこともあり、過去の悪と後の悪が同じこともあり違うこともあり、天上界における悪と人間界における悪が同じであることもあり違うこともあり、ましてや仙道と世間とでは、悪といい、善といい、無記といっても、まったく違っているのだ。善悪は時によるが、時は善悪でない。善悪は事物によるが、事物は善悪でない。事物が同一であれば悪も同一でなければならないし、事物が同一であれば善も同一でなければならないはずだ。

 

何やら難解な禅問答のようですが、要するに、「悪」というのはケースバイケースということを道元が自ら語っているわけです。

 

例えば、殺人は悪だとしても国家間の戦争においては正義として罷り通るわけです。死刑も殺人に変わりありませんが、国家の法として認められた正義側の行為ですよね。この世界でいったい何が悪なのか、ケースバイケースとなると定義ができません。

 

道元曰く、悪性や善性というものは無生(すなわち、固定的・実体的ではない)であるということ。物事はケースバイケースで善にも悪にもなり得るという考え方を、全ての人がしっかり認識すべきだということです。あなたにとっての善でも、相手にとっては悪である可能性があるわけです。これは今の世の中でも通用する理屈ですよね?(これが西暦1200年代の教えですよ、皆さん!)

 

会社を例に出してこのことを置き換えます。実は私は職場で中間管理職なのですが、経営陣からと現場の部下達との間に立つわけですね。たとえば昨今問題になっている超過勤務について、経営陣は時間外労働させるな(残業代は出さないぞお前ら!!)と私に指示してきます。

 

しかし、実際に時間外でも働かなければ回らないのが事実であり、部下達は拘束時間への対価報酬として賃金を貰う必要があるわけですよね。ここで管理職の私が時間外申請を認めなければ、部下達からすれば私はクソ上司(=悪)ですが、経営陣からすれば私は有能な管理者(=善)となります。逆の立場をとれば善悪が逆転します。この葛藤が日常にあるわけです。

 



仏像フィギュアの【イSム(いすむ)】

先人たちの禅問答を却下した道元

 

これまでの記事で、道元は非常に論理的かつ合理主義な思考の持ち主であると述べてきました。結局のところ、先人たちの仏道修行における禅問答とは、論破の争いなわけです。賢い方が論破して周りが拍手喝采、本人もこれで自分はもう悟った、となる。

 

道元は、この無意味な禅問答は不要といっているのです。そんな屁理屈はもうどうでもよい、と。「先人たちの屁理屈のやり取りを学んでも何の役にも立たんわ!」と投げ捨てた道元の潔さが私は好きです。僧の間でも相当敵が多かったこと、お察しします、、、。

 

さて、つまるところ道元は現実に抱える問題を、屁理屈で片付けようとするのでなく、現実的に受け止めて正しく理解(行動)する方法を常に模索したわけです。この点が他の開祖と大きく異なります。

 

諸悪莫作 → 悪いことをするな → 善い行いをしなければいけない → 常に心を浄くしなさい

 

この一連の教えを、仏からの命令形だと思ってはいけません。おもしろいことに、この点は宗教の違いによって解釈が異なるのです。例えば、キリスト教であれば人間は神(創造主)に作られたものであり、全て神の命令に従わなければなりません。ですから、諸悪莫作は創造主からの命令となります。

 

しかし、仏教における仏とは、創造主ではありません。過去の記事で述べましたが、宇宙の全てが大きな括りで「仏」であり、日常の全てが悟りの世界の中での出来ごとなわけです。ですから、自分自身で諸悪莫作を悟る必要があるのです。仏からの命令ではなく。

 

道元はこの考え方を伝えたかったのです。

 

悪いことをするな!と言われて、悪いことが結局理解できずに常に怯えた修行をするより、自分自身が悟っていけば自然と悪いことができなくなるはずだ、そう説いています。逆もまた然りで、善い行いをしようと日常で意気込むことなく、ごく自然に善い行いをしてしまうようになる、それが理想なわけですよね。自然に心が浄まること、それが「莫作」の本質です。

 

皆さん、いかがでしょう。今回は少し難解だったかもしれませんね、、、。

 

しかし、屁理屈でなく、ありのままの実態を受け止める道元の解釈(性格)が好きになりませんか?次回の記事はいよいよ道元の教えシリーズもセミファイナル!今しばらくお付き合いいただければ幸いです。

 

合掌

 



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