【嫁・婿の心得】同じ仏教でも要注意!宗派が変われば作法も変わることを考えておく

仏教



自分が婿に出て初めて気付かされた、仏教の宗派の違い

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

現在、日本の多くの家には仏壇があります。

 

勿論、多種多様な宗教がありますので、仏教以外であれば家に仏壇はありませんが、少なくとも人生において全く関りがなかったという方はほとんどいないはずです。

 

子供のころから何となくあげていた仏壇のお線香。

 

親の真似をしなががら、気付けばいつの間にか覚えていた仏壇前での作法。

 

当たり前のように線香に火を付け、当たり前のように合掌し、当たり前のように目を閉じる。それで構いません。何も悪いことなんてありません。あなたは物心つく時からずっと続けてきたのですから、、、。

 

そして、やがて気付く時がきます。

 

家族や親族と無縁の地では、その仏壇の前での行為は通用しないということを

 

無縁の地とは何を指すのかと言えば、いわゆる、嫁、婿、養子といった状況です。要するに血縁の無い家系に入るということですね。

 

「私には仏教は関係のない話だわ~」

「私は結婚とか興味ないので、、、」

 

といった方はここで読むのを止めてもらっても構いません。しかし、生きていく中で仏壇に線香をあげる機会がある方(概ね全国民と思います)にはぜひ知っておいて欲しいことがあります。

 

それは、仏教の宗派の違いによって、仏壇の前の作法が異なること。そして、考え方も異なるということ

 

「当たり前でしょ!何を今さら!」

 

本当に知っていますか??その違いを。

 

あなたは、そもそも仏教について他人に説明できますか?ちなみに私はできません。説明できない理由は、あまりにも大きな世界であるということを知っているからです。

 

先にはっきり言っておきますが、私は宗教の優劣を評価するつもりは全くありません。ごく一般的な家庭で育ち、和室に神棚と仏壇のある家で過ごしてきただけです。

 

しかし、私の人生において、仏教について本気で考えさせられるきっかけが訪れました。それは、以下の3つになります。

 

①養子縁組

②婿入り

③父の死

 

私は離婚の経験はありませんが、人生において3つの苗字を経験しています。ひとつは初めからの姓、続いて養子縁組で別の夫婦の家庭へ入った時の姓、そして最後は今から約6年前に妻の姓に変更しました。いわゆる、婿入り養子ですね。

 

そこから妻の実家での同居生活が始まったわけですが、私自身のこれまでの宗派と異なる宗派でした。特に仏教に興味があったわけでも無いので、当時は何も気にすることはありませんでした。しかし、そこで大きな違いに気付かされたのです。

 

それは、根本的な作法が異なるということ。

 

皆さんも通常の作法は御存知だと思いますが、その通常という考え方が誤りです。宗派が異なれば通常は通常ではなくなる、そう肝に銘じて下さい。

 

線香の本数、焼香の手順、火のつけ方、数珠の持ち方、お鈴の鳴らす回数、合掌時の経、などなど。

 

「仏教ならどれも同じでしょ?」

 

そう思っている方は、はっきり言えば恥をかきます。「知らぬが仏」と上手いこと言いたくなりますが、いい大人であれば全く笑えないので、ぜひこの機会によく調べて下さい。詳しい宗派ごとの作法は、いくらでもネットに情報がありますのでここでは触れませんが、興味の無い方も最低限自身の宗派くらいは覚えておくと良いです。

 

御自身の宗派を知れば、それと異なる宗派の仏壇の前で必ず疑問が生じてきます。

 

「この家の宗派は、この作法で良いのかな、、、?」

 

そうです。その感覚が、ある意味正常な感覚です。

 

相手方の家の中では、相手方の宗派に敬意を示す。宗教に限らず、何事においてもそうですよね。敬うことは我々人間にとって、根本的に備えておくべき姿勢です

 



余談・無知とは恐ろしい、、、私自身の過去の作法編

 

ここまでは、少しばかり上から目線で話してしまい申し訳ありません。

 

しかし、本当に大事なことであると気付いたので、少しでも多くの方に伝えるべきと思っています。私自身もそれまでは酷い作法でした。恥ずかしい話ですが、結婚するまで続けていた仏壇前での作法を一通り暴露します。

 

1)お線香を適応に3本程手に取る

2)火をつける。(←小さい頃は口で吹き消していましたが、親に怒られて手の風で消していました。)

3)適当に線香を立てる

4)お鈴を大きく2回鳴らす

5)合掌して目を閉じる

6)「仏様、xxxxxxxxxxxしますように。」(←七夕のようなお願いことをたくさん。)

 

酷過ぎますね。

 

「ん??別に普通じゃない?」

 

と感じた方は危険です。この記事を読んだらすぐに作法を勉強して下さい。

 

父の死に直面し、最期を看取り、気付いたこと

 

私の父は数カ月前に、病気により他界しました。

 

酸素マスクの中、精一杯、ひとつひとつの呼吸を繰り返していました。

 

私も家族も親族も、病室のベット脇で、父の呼吸が停止するその時まで、父の心拍数がゼロになるその時まで、本当に最期の瞬間まで看取ることができました。

 

それから葬儀を終えるまでの数日間、父の死を一人の人間の死として、初めて深く考えさせられることになりました。普段から医療現場で多くの患者の死に触れてきましたが、正直なところ、人間の死というものに慣れていたのかもしれませんね。それだけ父の死という事実が、私自身の死生観にまで影響を及ぼすに至ったわけです。

 

まず、御導師(お坊さん)の経がいったい何を言っているのか、疑問を抱くようになりました。父の亡骸に向かって、あなたは何を唱えているのですか?と。勿論、その場では聞けませんよ。

 

それからというもの、私は仏教について、宗派について、たくさん勉強しました。今でも続けていますが、本当に深い世界です。ですから、簡単に仏教について説明できないと前述したわけです。

 

紀元前から続くこの三大宗教のひとつが、なぜ途絶えることなく受け継がれるのか。

 

仏教は物理学でもあり、仏教は心理学でもあり、仏教は道徳にもなり得るのです。本当に多くの学問が仏教の中に含まれているというのが事実です。(多くの方はこのことを知らないと思います。)

 

次回の記事では、私がいくつか文献を読んできて学んだ仏教の本当の教えについて、なるべく簡潔にお伝えしていきます。


 

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【宗派】を意識しなくなった現代日本人の【仏教】。あたなは自分の宗派を知っていますか?