【宗派】を意識しなくなった現代日本人の【仏教】。あたなは自分の宗派を知っていますか?

仏教



お坊さんのイメージは明るい?暗い?

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

皆さんはお坊さんに対してどのようなイメージでしょうか?

 

お寺、葬儀、墓地、供養、お経、除夜の鐘、、、一般的にはやはりこのような印象が強いと思います。私も30歳過ぎるまではその程度しか知りませんでした。

 

無知とは本当に貧しいものです。

 

そんな過去の私と同じようにお坊さんのイメージを捉えている方に、なるべくわかりやすい表現で事実を伝えていきます。特に、葬儀などの暗いイメージしかない方にとっては、おそらく考え方が180度反転すると思います。これからしばらくの間、私の書く記事を気軽に読んでいただければ幸いです。

 

勿論、すべては文献から私自身で学習したことです。しかし、膨大な時間を割いて難解な書物を読み解くのには、正直非常に根気が要ります。多忙な皆さんは、ぜひ私が簡単にまとめた内容から効率的に抜き取って下さい。

 

あなたは自分の宗派を言えますか?

 

私の現在の宗派は曹洞宗(そうとうしゅう)です。

 

宗派といっても、前回の記事に書いた通り、婿入り先が曹洞宗だったという程度で、自分から選んだわけではありません。正直な話、当時の私は仏教にはまるで興味がなく、仏壇への線香上げと毎年の墓参りしか関係ないと思っていました。そもそも、宗派という用語すら知っていたのか怪しいです。

 

皆さんは自身の宗派を言えますか?

 

答えられなかった方、大丈夫です。これから興味を持つようになります。なぜわかるかと言うと、この記事に巡り合った時点で、すでに仏教を学ぶきっかけを与えられたからに他なりません。恥ずかしがらずに両親や祖父母に宗派を聞いてみて下さい。きっと喜んで話してくれると思いますよ。

 

すぐに答えられた方、さすがです。では次。その宗派の開祖を言えますか?

 

答えられなかった方、大丈夫です。9割の方がそのレベルだと思います。宗派までわかっていればあとは検索すればすぐですね。ほら、もう興味が沸いています。

 

開祖まですぐに答えられた方、素晴らしいです。もはやこの記事の内容は退屈かも知れません。それでは次が最後の質問です。

 

その開祖が世に伝えたかった仏教とは何ですか?

 

答えられなかった方、それが普通です。いたって正常ですので安心して下さい。これから皆さんも一緒に勉強していきます。

 

3つの質問全てに答えられた方、今すぐ出家を考えましょう。一般の方でそこまでの志をすでに備えていたのであれば、嫌々苦行している若い修行僧(怒られてしまいそうですが、実際たくさんいます。)に勝る、立派な経験が積めると思います。

 



曹洞宗の開祖・道元禅師

 

曹洞宗の開祖は、道元というお坊さんです。おそらく皆さんも歴史の教科書で見たことがあるかもしれません。国内では非常に有名な僧です。

 

しかし、多くの小中学生が道元という人名を覚えても、その道元がどんな教えを説いたのかまで授業で教える先生はいません。(相当マニアックな授業で仮にあったとしても、そんな内容なら生徒の大半は爆睡していますよね?)

 

要するに、日本の教育では、仏教について正しく覚えさせる指針が無いといっても過言でありません。仕方が無いことなんです。ひとつの宗教ばかり教えたらそれは宣教師扱いされる可能性もありますので、、、。

 

ですが、国民の大半が仏教信者であるのが実情です。お墓参りをし、線香をあげ、合掌する。多くの子供たちが当たり前の習慣として身につけています。そうであるならば、やはり正しく理解することが本来必要なことだと私は考えています。

 

大人になっても仏教に対して無知なのに、作法だけは一丁前に真似をする。

 

仏教だけは例外なのでしょうか?いいえ、違いますよね。作法をするのであれば中身を理解しましょう。その行為にいったい何の意味があるのか。なぜ、その作法をするのか。

 

なぜ何度も回り諄く言うのか、と思うかもしれません。しかし、突き詰めればそれらはすべて仏教を学ぶことに帰結するからです。私自身も、興味を持った最初の段階では適当にインターネットで検索するのみでした。しかし、それを繰り返すうちに、根本的なところ、つまり仏教とは何かを知らなければ理解できないと気付いたのです。

 

そして、まず疑問に思ったことは、道元という人物がなぜ曹洞宗を開いたのかということ。いったい、民に何を伝えたかったのか。

 

道元を語る上で、必ず出てくる書物(道元の主著)があります。

 

『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』

 

皆さんは御存知でしょうか?(私は全く知りませんでした、、、)

 

この書物がいったい何なのか、結論から述べます。

 

それは、釈迦の教えを正しく理解するための智慧を持ちなさい、ということ。特筆すべきは、出家・在家の差別なく大勢の民衆にそれを教えるため、道元はこの『正法眼蔵』を書いたのです。

 

「うわー、、、、釈迦とか出てくるとかなり宗教色濃いなぁ、、、、やめとこ」

 

と思う方もいるかもしれません。しかし、それが過去の私自身のように、誤った仏教の解釈なのです。正しく習っていないのですから、今はまだその感覚で仕方がありません。

 

今回は入門編としたのでここで終わりにしますね。

 

次回の記事では、この誤った解釈を少しずつほぐしていきます(なるべく優しい単語で)!


 

続きはこちら☟

道元が【正法眼蔵】で伝えたかったのは、仏教に【修行】は必要ないということだった?!