道元が【正法眼蔵】で伝えたかった【仏教】の本質は、欲を捨てて穏やかな精神を維持すること

仏教

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道元の教えシリーズ、遂に最終章。

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

早いもので道元の教えも最終章となってしまいました。皆さんには全13記事を読んでいただき、仏教の本質について少しでも正しく理解し直していただけたかと思います。

 

私は仏教とは全く関係のない人生を歩んできましたが、職業として癌治療の最前線に携わっているので、人間の「死」に対して非常に近い立場といっても過言でありません。「癌治療の最前線」と言えば響きは良いのですが、実際には「余命を伸ばす最後の砦」なわけです。現代の医学の最高峰の治療をもってしても、癌に打ち勝つことなどほぼ不可能に近いです。一般的に完治したと言うのは、ある一定期間の話に過ぎません。これが医療の現実です。

 

そして、私の父も癌に侵されてしましました。長いようであっという間の5年近い闘病の末、東日本大震災と同じ3.11にこの世を去りました。何千人という患者の治療とその死を受け止めてきた自分にとって、父もきっと同じ中に含まれてしまうのだろう、そう考えていましたが、実際に直面すると全く違う現実が待っていました。今も携帯電話の父の番号を見るたびに、本当に死んでしまったのかと実感がわかないくらいです。

 

医学で治療や延命はできても、死を防ぐことはできません。死とはいったい何なのか。そして生とはいったい何なのか。私は、父の葬儀中もずっとそのことを考えていました。ふと我に返った時に、お坊さんが父の亡骸に向かって読経しているのを聞き、いったい何を言っているのか疑問になったのが全ての始まりです。

 

私はその日から何かに憑りつかれたかのように、仏教に関する文献をひたすら読みました。ほどなくして、道元の教えに辿りついた時に、ようやく肩の荷が降りた様な、安らかな、そしてとても穏やかな気持ちになったことを覚えています。仏教の本質を学んだことで、自分の考え方が180度変わったといっても良いです。

 

「時がくれば、仏教の方から近付いてくる。」

 

道元は『正法眼蔵』の中でそう述べていますが、まさにその通りだったのかもしれませんね。私は一人でも多くの人に、仏教というひとつの「価値観」を正しく理解してもらうことが、このシリーズを書いてきた唯一の目的です。多くの日本人が仏教を誤解しており、そしてこれから学び直すことは何も難しくないということを楽しく知っていただきたい、そう考えています。

 

残念ながら、道元は志半ばで入滅してしまいましたので、この最終章では絶筆前の最期の教えを解説していきます。もっと長く存命であれば、日本の仏教も、あるいは世界も違った流れになっていたかもしれませんね、、、。

 



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八大人覚(はちだいにんがく)

 

道元禅師、最期の教えは、遺言ともいえる「八大人覚」。

 

意味は、大人として覚知すべき8項目です。大人といっても年齢的な大人ではなく、いわゆる菩薩の状態を指します。

 

「如来の弟子だる者はこれを習学すべし。これを習学せぬ者は仏弟子ではない。」

 

道元がここまで断言するくらい重要なことです。

 

①少欲

 

物足りないものを、物足りないままにしておくこと。欲望というのは、それを満たせば満たすほどますます膨らむものです。欲望を充足させることでは、私たちは幸福になれないのです。つまるところ、幸福になりたいのであれば逆に欲を少なくしなさい、と説いているのです。

 

②知足

 

与えられたものを全て自分のものとしないで、一部を他人のために回すこと。これは前回の記事で解説した仏教の本質である「布施」と同義と言えます。

 

③楽寂静(ぎょうじゃくじょう)

 

静寂を楽しむこと。私も以前は都会に住んでおり、毎日が満員電車の日々でストレス三昧でしたが、今はほどよく静かな土地で暮らしており、大自然の大切さを実感しました。

 

④勤精進(ごんじょうじん)

 

精進に勤める。ただし、それは自利のためではなく、他利のために頑張ること。

 

⑤不忘念(ふもうねん)

 

常に仏法を思ったり、感じていること。ここまで読んだ皆さんはもう大丈夫ですね!

 

⑥修禅定(しゅぜんじょう)

 

心静かに真理を観察すること。禅というと、座禅などを思い浮かべるかもしれませんが、禅=座禅は誤りです。禅とは心穏やかに、落ち着いて物事の正しい見方をしなさい、という意味です。

 

実はこれは医療現場でよく目にする光景です。例えば、医師から癌を告知された患者の心理状態というのは、すさまじく乱れています。自暴自棄になる方もいれば、意気消沈して廃人のようになってしまう方もおり、本当に一瞬で別人になってしまう感じです。これはまさに心が乱れている証拠です。

 

私は癌ではありませんが、重篤な病を患っています。父の癌が発覚したのとほぼ同時期に発症しました。現代の医学では治療薬すらありませんので、長く生きられる可能性はゼロに近いです。死が怖いと言えば嘘です。死は怖い以外の何物でもないと思います。しかし、私は道元の教えの通り、病人として精一杯病人を生きることしか今は考えていません。長く生きられないですが、それで良いのです。(そもそも、全ての人が長生きできる保証などありませんよね。)そして、死ぬ時には一生懸命死ねば良いのです。それが私自身の自然に生まれた悟りです。

 

⑦修智慧(しゅちえ)

 

智慧を習得すること。ここでの智慧とは、あらゆるものを差別しないで平等に見る能力です。一般的な「知恵」というのは、賢さなどの損得計算に基づく能力です。ですから、他利の精神である仏教に後者の「知恵」は重要でないのは言うまでもありませんね。

 

⑧不戯論(ふけろん)

 

物事を複雑にせず、あるがままに単純に受け取ること。癌になればただ癌になっただけ、老いればただ老いただけ、死ぬときはただ死ぬだけ。単にそれだけです。どうして癌になったのだろうなど原因を考えるだけ、悩みが増えて余計に辛しむだけです。辛いことや苦しいことは、単にその事実だけでよい。それ以上は独りで余計に考えて抱え込むな、と道元は説いています。医学にとって本当に必要な言葉かもしれません

 

このシリーズ締めの文は、道元禅師の最期の言葉で終わることにします。

 

仏法に巡り合える機会は、無限ともいうべき時間のうち、ほんのわずかである。人身に生まれることは容易ではない。(中略)いまやわれわれはこれを習学し、来世、再来世と、何世にもわたってこれを増大、成長させ、必ず最高・窮極の悟りにいたり、衆生のためにこれを説かんこと、まさに釈迦牟尼仏と同様でなければならない。

 

合掌。

 


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