【神様】の本質的な性格を忘れてしまった現代の日本人

神道



「神」は、慈愛に満ちた存在ではない

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

当たり前の事を最初に言いますが、「神様」と「仏様」は違います。

 

これの意図するところは、基本的に慈悲・慈愛の精神である仏に対し、「神」はそのような優しさは持ち合わせていないということです。私は小さい頃に悪いことをすると、親からよく「仏様の罰が当たるよ!」なんて叱られましたが、正しくは「神様から天罰が下るよ!」と言うべきだったかもしれませんね(笑)

 

要するに、「神」は慈愛に満ちた存在ではなく、基本的には怒る性格です。

 

ですから、皆さんも神様を怒らせないように!!

 

なんて結論で終わるのは簡単ですのが、今回はこの「神」が怒る存在であるという学問的な認識について解説していきます。多くの日本人が「神様」の性格を勘違いしていますので、この機会にしっかりと学んでおきましょうね。

 

「オニ」は「カミ」から生まれた存在

 

驚く事なかれ。

 

実は、皆さんもよく御存知の「鬼」とは、「神」からの派生なのです。信じられないかもしれませんが、この重要な事実をまずは認識して下さい。

 

これまでの記事でも述べましたが、「神」とは大自然の(更に言えば宇宙的な)強力な脅威を持つわけですよね。そして、原始的には「神」に善悪の性質は関係ないこともキーポイントにしました。

 

「神」の否定的な部分を抜き出したのが「物の気」と「鬼」にあたります。前者は、「神」が怨霊的な存在となったことを示しており、スタジオジブリの名作『もののけ姫』もここから抽出したものです。

 

余談ですが、宮崎駿監督は日本の「神」に対して熱心に勉強されたと考えられます。この『もののけ姫』というメッセージを理解するには、2時間程度の尺では不可能ですよ。ましてや子供には理解しきれませんし、大人でも「神」に対する正しい知識が必要なのです。

 

話を戻しますが、後者の「鬼」は「神」の荒々しい部分とされます。「鬼(オニ)」とは「隠(オン)」が語源で、目に見えない存在である「神」と陰陽面で対称です。代表的な「猿神」や「犬神」は隠側で、むしろ「オニ」に近い存在です。

 

いずれにせよ人間には見ることができませんが、昔の人々がどうにか陽側の「神」の存在を可視化したかったために、御神木のような自然の何かに当てたというのが正しい解釈となります。

 




伝統和服の作務衣

巫女の意味

 

現在、神社の巫女はほとんど(むしろ全員?)がアルバイトの女学生ですよね。最近の日本では巫女さんコスプレマニアみたいな人も多く、よく解らない状況になっていますが、、、。

 

なぜ、神社には巫女がいるのか?

 

この理由は「神」を理解する上でとても重要なのですが、現代ではほとんど忘れられてしまっています。受付やお守り販売など、単に神社で仕事をしているから巫女、ではありませんよ。

 

「神」は普段は鎮座していますが、何か意志を伝える際はその場所から遊離します。その後、巫女や子供に憑依して話す方法をとるか、伝えたい人間の夢に現われるというのが古くからの解釈です。つまり、目に見えない存在である「神」が直接人に何か物言いすることはなく、これらの間接的な接触手段を取るというわけですね。

 

本当に憑依されているのかはその人間にしか判りませんが(いや、憑依されていたらそもそも判らないかもしれませんが、、、)国内には憑依される巫女が現存しているも事実です。もちろん、単なるアルバイトの女の子ではなく老婆の巫女が多いです。ここでは詳しく述べませんが、真の巫女は生まれつき盲目など、信頼されるためには厳しい条件があるそうですよ。

 

「神」の怒り

 

「神」の怒りは、祟り(たたり)という形で表現されます。

 

怖い話などでは頻繁に「祟りじゃーーーー!祟りじゃーーーー!」なんて聞きますが、この祟りの意味は「神」の怒りということです。さきほどの『もののけ姫』でも「祟り神に触れるな!呪いを貰うぞ!」と叫ぶシーンがありすよね。

 

古来、祟りの多くは疫病や自然災害が該当しました。大昔は薬などはありませんから、疫病が蔓延したら集落が壊滅的なんてのも毎年のように経験しています。現代では疫病を祟りと呼ぶ人達は皆無と思いますが、その一方で自然災害についてはいかがでしょう。

 

どれだけの対策を施しても、どれだけ人々が危機感を持って行動していても、自然災害はその対策・予想を遥かに上回る規模で突然襲い掛かってきますよね。事後的に科学で説明できたとしても、あるいは巨大地震の発生を科学で予測したとしても、結局は襲い掛かってくるその瞬間の私達人間は無力です。

 

これらについて、目に見えない「神」の怒り(すなわち、祟りのこと)であると昔の人間が表現したのも、何となく納得できる気がしますよね?

 

祟りを恐れるがゆえに、私達日本人は古来より「神」を祭り続けています。祭りを怠ったり、何らかの行為で「神」を怒らせてしまえば、再び祟りが起きると常に恐れてきたのです。しかし一方で、正しく祭っていさえすれば天候は安定し、収穫にも繋がり、栄養面で免疫力をつければ疫病も蔓延しない時代になる、そのように人々は捉えたわけですね。これが日本人という民族の歴史です。

 

繰り返しますが、「神様」は慈愛に満ちた存在ではないのです。現代においても。

 

次回の記事では、先に述べた「神」を祭ることに関して詳しく解説してきます。お楽しみに!!

 




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