江戸時代に【本居宣長】が定義した「神」が、現代日本人の「神様」という事実

神道



厳密には「神道」と「神(カミ)」は異なる

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

今回の内容は、これまでの記事で解説してきた「神道」と、私達が信仰する「神」は異なるということを話します。

 

「異なるって、、、今まで散々まとめて話してきたじゃねーかよ、、、」

 

はい。仰る通りです。ですが、それは私が意図的にそのようにまとめてきました。というのも、実は「神道」という宗教を理解する上でどうしても避けられない解釈があるためです。

 

あまり長くするとややこしくなるので、結論から述べます。

 

「神道」は日本固有の宗教として確立していますが、それは不変ではなく、時代とともに変容する存在であるということです。極端な話ですが、現在進行形で「神道」は変化しています。私達の一生分の年月程度ではそれを感じ取れないだけなのです。江戸時代や明治時代などの大きな時間の流れで考えたとき、この「神道」という宗教は生き物のように変容しているわけです。

 

我が国二大宗教の「仏教」は、仏陀の教えとして紀元前から不変の宗教となります。もちろん宗派ごとに異なる解釈はありますが、それは「仏教」の中でみた場合は僅かな差です。これから少しずつ解説していきますが、「神道」はその時代によって解釈(←庶民にとっての正論という意味で)が移り変わってきたわけです。

 

そして、ここで冒頭の話に戻りますが、「神道」と私達の信仰する「神(カミ)」は、本質的な意味が異なります。

 

前者の「神道」は、特定の人達の思想的な解釈が加わったある種の学問と言えば解り易いかもしれません。皆さんも一度は聞いたことがあると思いますが、両部(りょうぶ)神道伊勢神道というのがそれに当たります。

 

余談ですが、私は伊勢神宮へ参拝したことがありません、、、。御朱印巡りも趣味なので色々出向いているのですが、伊勢神宮(三重県)だけは遠すぎるのです(笑) いつの日か参拝できたら報告させていただきます。なぜこんなことを追記したのかといいますと、現在の日本の社格として最上位である伊勢神宮も、本当は、、、、。ということで、皆さんも正しい知識を持つべきなので、干されるのを覚悟で今後の記事にまとめます。

 

さて、脱線してしまいましたが、以降は後者の「神(カミ)」について解説していきます。

 



パワーストーン

「神(カミ)」の語義

 

「神」という字は、正式には「神」を用います。御存知の方は意外に少ないのではないでしょうか?

 

「神」という字は、「祭祀(さいし)=示」+「音符=申」の組み合わであることから解るように、祭祀及びそれに纏わる神霊を指します。要するに、「神」とは祭りや神霊のことです。

 

そして、この「神」の用法は以下の通り様々です。

 

  • 神祇:天空にいる神(雷神など)の類。
  • 神霊:霊的な神聖な存在。人間世界に介入してくるような存在のこと。
  • 宇宙そのものの及ばない力。
  • 心の中に宿る精神

 

皆さん、いかがでしょうか?何となく、現代の「神様」の感覚に近いですよね?

 

本居宣長が定義した「神」が、現代人の「神様」の発祥

 

江戸時代の天才・本居宣長は、医師でありながら、国学者と文献学者の顔を持っていました。興味深いことに本居宣長も、この日本人に棲みつく「神」とはいったいどこから来たものなのか、生涯を通して研究しました。(やはり、これほどの天才であっても興味が沸いたのですね!)

 

歴史的著書の『古事記伝』において、本居宣長は「神(カミ)」の語源は不明と結論づけましたが、日本人によっての古来から伝わる「神(カミ)」を以下のように定義しました。

 

  • 天地や自然の全てに優れた徳があり、畏きものは「神」と呼ぶ。
  • 優れた徳には善・功・悪・奇が含まれ、それらに対して凡人より優れた力を持っている存在。要するに、善悪や強弱に関わらず畏怖すべき相手が「神」である。
  • 人格化した「神」の存在
  • 死後、「神」として祀られる人間そのもの

 

悪の存在も含まれるというところが一つ目のキーポイントです。少し考えてみればわかりますが、悪い神様というのも簡単にイメージが沸きますよね。ここでは詳しく触れませんが、日本の神社の中にも、実は悪い神様を祀っているところがあります。何も知らずに神社だからと喜んで参拝している日本人も多いですが(笑)

 

そして二つ目のキーポイントは、そのもの自体が「神」となることです。例えば、神霊のようなものが何かに宿るという認識ではなく、一本の木ですら「神」そのものになると定義しました。ただし、注意すべき点は全ての木ではなく、畏きものという条件、つまり樹齢が長く数百年にわたり存在する木を指します。

 

はい、もうお分かりですよね?そうです。それが「御神木」と呼ばれる所以なのです。

 

死後に崇められて「神」となった偉人もたくさんおり、本居宣長もその一人です。まぁその話はまた別の機会として、このように現代の私達の「神様」という感覚は、江戸時代には概ね創り上げられていたということになるわけです。

 

繰り返しますが、「神道」と私達の信仰する「神様」という存在は、本質的には異なります。「神道」を正しく学ぶためには、この「神(カミ)」の定義をまず知っておく必要があるため、ややこしくなるのを覚悟で取り上げました。

 

次回へと続くのでお楽しみに!

 


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