【神道】は奈良時代から存在するが、現在とは定義が異なっていた?!

神道



私達が「神様」へ祈る文化に、宗教的な感覚は含まれない

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

さて、これまでの記事では神仏融合と神仏分離について解説してきましたが、こうした議論をしていると、そもそも「神」とはいったい何なのか分からなくなります。

 

いくら学問的に「神道」を考えても、やはり私たちの頭の中にある神とは「神様」という存在のことで、事あるごとに神頼みしてしまいますよね?

 

神社に参拝し、御神前で二礼二拍手のあと、皆さんがすることは何でしょうか。一般的にはお祈りですよね?今までのお礼であったり、あるいは今後の願い事だったりと、とにかく目を閉じて数秒間祈るわけです。

 

この風習は日本人の多くが物心ついた頃から知っており、何ら違和感のない習慣だと思います。科学的には「神様」という物質的な存在は証明できないにもかかわらず、です。お祈りして、特別な力が与えられるという根拠もありません。それでも、私たちは何か漠然と「神様」を信じて目を閉じ、毎年のように祈祷しますよね?

 

そんな私たち日本人の神様を信じる「神道」が、どのような語義・定義のもので変遷してきたかを簡単にまとめていきます。

 



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『日本書紀』で初めて認められた「神」と「神道」

 

今の研究者たちの見解では、『日本書紀』以前の書物には「神道」という語彙は見当たらない、とされています。皆さんも御存知の平城京奈良時代という有名な歴史用語がありますが、これと同じ頃から「神道」という用語も使われ始めたということですね。以下は同文献内で出る文章です。

 

  • 天皇仏法を信じ、神道を尊ぶ
  • 仏法を尊び、神道を軽んず
  • 惟神(かんながら)←神道に従がうという意味

 

これらは西暦700年代から存在することになりますが、ひとつ重要なことがあります。実は、この時代の「神道」というのは、大自然の摂理(理法)を意図する用語なのです。その証左として、中国の仏教の中にも「神道」という言葉が古くから使われており、日本に仏教が伝えられた時代背景からもやはり同義と考えられます。

 

ということで、私なりに上記の文を言い換えてみました。

 

  • 天皇と仏教を信じ、自然を大切にしなさい
  • 仏教を尊び、自然を甘くみないこと
  • 大自然の摂理に従いなさい

 

何となくですが、今の時代にも通ずる教えだと思いませんか?【仏教を学ぶ】カテゴリーの記事内でも述べてきましたが、実は今の世の中も大古の時代も、日本人特有の基底にある考え方というのはそう変化していないのです

 

それもそのはずです。ここからは余談ですが、日本という国は世界最古にして唯一の、国自体が変わっていない島国です(←国、国、国とややこしい、、、)。

 

要するに、他の民族に乗っ取られたこともありませんし、天皇以外の統治者になったことも一度もありません。国という単位で考えたときに、私達だけが唯一の変わらない民族ということですね。元寇や敗戦を経験しているのにも関わらず、統治者が一度も変わらないというのは実に奇跡的なのです

 

専門家たちの「神道」の解釈はバラバラ、、、

 

奈良時代当時の「神道」とは、大きな意味で、自然の摂理のようなものと考えられていたことを述べました。しかし、今の日本人と同じように、やはり目に見えない「神様」のようなニュアンスで『日本書紀』で表現されているのも事実です。このあたりになると、すでに昔から日本人独特の感覚(ワビ・サビのようなもの)があるのだと思います。

 

ということで、専門家たちの間では「神道」の捉え方に対する様々な解釈が交錯しています。以下にその解釈の代表例をまとめます。

 

① 神の権威、力、はらたき、しわざ、神としての地位、神であること、もしくは神そのもの

 

② 日本に特殊な、政治もしくは道徳の規範としての意義に用いられるもの

 

③ 呪術なども含めた、古くから伝えられてきた日本の民族的風習としての宗教

 

④ ③に何らかの思想的解釈と加えたもの

 

⑤ 特定の神社で宣伝されているもの(伊勢神道、山王神道)

 

⑥ 宗派神道(有名なのは天理教や金光教)

 

皆さん、いかがでしょうか?日本人にとっての「神道」とは、これだけ解釈が分かれているのですよ。「仏教」の宗派別の教えの違いなどと似ているようで、実際には全く別もののレベルで異なります。

 

①と②に関しては、私たちの「神様」としての感覚に非常に近のではないでしょうか。両者ともにいつの間にか身についている考え方だと思います。ちなみに④~⑥は中世以降に創られたものなので後発的な、後付け的なところがあります

 

宗教としての「神道」

 

「仏教」と並ぶ二大宗教として考えた場合の「神道(前節での④~⑥に該当)」は、比較的中世~近代に創られたものと考えて間違いありません。少しややこしいですが、宗教としての「神道」はこれらの解釈を指し、信者達は基本的には中世以降に「仏教」から移入したということです

 

過去記事【仏教を学ぶ;宗教年鑑から読み解く日本の仏教力②】で、現在の日本の「神道」信者は「仏教」信者と僅差(←全国民の3百万人程度しか差がない)であることを伝えました。国内ではこれだけ多くの「神道」信者がいるわけですよ。

 

私のように「仏教」信者の人間でも、お祈りの相手として「神様」の存在を無意識に認めているわけですから、宗教的な冠婚葬祭などの風習を取り除けば、「仏教」信者たちは「神道」に片足を突っ込んでいる状態なわけですね。

 

そのため、私達日本人は「神道」という用語を単なる民族宗教として捉えるのではなく、歴史的背景としてどのように扱われてきた結果今に至るのかを正しく知っておく必要があると思います。

 

そうでなければ、初詣、厄払い、お宮参りなどの神前での儀式も、何の理解も根拠もないまま祈祷だけしているという悲しい事実だけが残ってしまいますよね?

 

次回の記事でも引き続き解説していきますのでお楽しみに!

 



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江戸時代に【本居宣長】が定義した「神」が、現代日本人の「神様」という事実