明治時代の【神道】国教化と廃仏毀釈で、政府に消されかけた【仏教】の運命

神道



強行された廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

前回の記事では、当時の政府がいったいなぜ、「神道」を国の宗教として新たに確立しなければならなかったのかを簡潔に述べました。

 

悲しくも、日本古来より受け継がれた「仏教」に対しては、国内全土において厳しい目が向けられる時代に突入していくわけです。

 

日本の神仏習合という特徴的な信仰は、今となっては「日本人らしい」の一言で片付くのですが、当時は否定派も多かったのが実情です。要するに、「仏教のみ信仰して、神の存在を認めない(←正しくは、神自体も仏になろうとしているという解釈ですが、ここではややこしくなるので割愛します。)」という派閥と、「日本固有の神道のみが日本人として崇高であり、インドや中国から始まった仏教は排除すべき」という派閥の論争ですね。

 

後者の考え方が「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」と呼ばれます。今回はこちらにスポットを当てていきましょう。

 

さて、明治政府の方針により「神道」の国教化(つまり、廃仏毀釈の流れ)が進むと、日本全土にわたってお寺や仏像、経巻などが廃止・処分されるようになります。まぁ、廃止・処分という生易しいものではなく、実際にはその派閥の人間たちによって一斉に焼き払われたり破壊されたりしたわけですね。もちろん、大きな動きとして見れば政府公認ですよ。

 

この廃仏毀釈により、国内にあった「仏教」にまつわる多くの文化財を失うことになります。日本に現存する世界遺産、国宝、重要文化財などはこの明治時代の過激な圧力から逃れた寺院のみ(一部は再建されたもの)ということになります。この事実を、学校の授業ではほとんど教えてもらえませんよね?

 

「仏教」という宗教的・文学的な面での損失規模は、実はこの明治政府による廃仏毀釈が日本史上最大とも言われています。私たちが知ることもできなかたった多くの有形文化財が、この時代に一瞬にして無くなってしまったのです。今となっては本当に悔やまれます、、、。

 



仏像フィギュアの【イSム(いすむ)】

僧侶たちの還俗

 

寺院が減ってしまうのですから、次の流れは皆さんも予想がつくでしょうか。

 

僧侶たちの還俗(げんぞく)です。つまり、お坊さんを辞めるということ。

 

これは政府の方針ですから仕方がありませんよね。さらに、目の前で代々伝わる寺院が破壊され、焼かれていくのですから、、、。僧侶たちからすれば、本当に痛ましい時代だったと思います。

 

ちなみにあえて触れますが、「仏教」の戒律で殺傷は禁止されています。膨大な人口の僧侶がここまでされても何も抵抗できなかった理由がおわかりでしょうか。「仏教」とは、世界的に見ても争いごとに弱い(むしろ争うことを正当化する教えが存在しない)宗教なのです。こんなことは誰も公で言いませんが、客観的な事実です。例を示せば、戦争でカミは使われますが、ホトケなど言われていないですよね。

 

寺院も失われ、僧侶も一気に減り、明治政府の思惑通りに庶民への「神道」の洗脳が進んでいく。これはまさに「祭政一致」という架空思想の具現化でした。

 

もうひとつ余談ですが、そもそもが廃仏毀釈の考えである地域も存在していました。関東では水戸黄門で有名な水戸藩、そして白虎隊や新選組でも有名な会津藩。関西では武家としても有名な岡山藩津和野藩(島根県)。これらの地域ではすでに江戸時代から「神道」を崇める傾向が強かったのですが、やはり武士道との繋がりが濃く影響していたのかもしれません。さらに明治以降にこの影響を強く受けた薩摩藩は、全ての寺院を破壊したそうです。

 

集団の思想とは本当に恐ろしいもので、この通り歴史が証明しています。

 

架空の理論「祭政一致」の壁

 

政府の思惑通りに「神道」が普及し、これで新時代の幕開けが、、、、となる予定でしたが、事はそう単純には動きません。皆さんもここまで読んでお気付きと思いますが、そもそも政治として強引過ぎたのです。

 

明治四年には早くも「祭政一致」は不可能では?という意見が政府内で出はじめました。

 

冷静に考えれば当たり前の話ですが、日本においては「仏教」も相当な歴史があるのです。寺院や仏像を破壊され、僧侶がいなくなったとしても、庶民が「はい、そうですか。わかりました。」と簡単に心変わりするはずがないのです。(先祖は墓に眠り、菩提寺が供養し、それを永代続けてきたわけですからね。)

 

政府が頭ごなしに「神道」を国の唯一の宗教と洗脳しても、結局のところ、初期の破壊行為までの勢いで終わってしまいました。はっきり言ってしまえば、明治政府の大失態です。多くの文化財をここまで人為的に消滅させてきた蛮行を、なぜ、歴史の教科書でしっかりと後世に伝えていかないのか私は理解できません。近代化を図った功績は確かに大きいかもしれませんが、都合の良い歴史だけ教える教育が子供たちのためになるのか十分に検討すべきです(私はこの記事で訴えることしかできませんが、、、)。

 

話を戻すと、最終的には「仏教」の力(協力)を仰いだわけです。散々な破壊活動をしておきながら、4年後には我が国は「神道」と「仏教」の二大宗教国家であると開き直ります。そこまでして、何が何でもキリスト教の布教速度に対抗したかったのが明治政府の心情でしょう。

 

再び今のような「神仏習合信仰」に戻るまでには様々な経緯がありますので、この続きは次回の記事でまとめていきますね!


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【神道】は宗教に含まれない?!明治政府が選択した奇策