日本人の【神様】は、実は明治政府が創り上げた文化という史実

神道



日本人の「神様」への信仰心

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

初詣、厄払い、祈祷、神前式、宮参り、、、。

 

日本人の多くは、幼少期より「神様」の前で手を合わせ、目を閉じ、何かをお祈りする文化で育ってきたのではないでしょうか。私も大人になるまでは何の疑問(神様を疑うという意味ではなく)も抱かず、ただただ事あるごとに神社に参拝しに行くのが日常でした。

 

しかし、この万人の願いを聞いてくれる都合の良い「神様」は本当に日本に存在するのでしょうか。少々言い方が悪いかもしれませんが、あえてはっきりと申し上げましょう。つまるところ、人間のように物質として存在していない、つまり目に見えない「神様」は歴史的・科学的に証明された存在なのでしょうか。

 

こんなことを大胆に発言してしまうと、世の中からは批判の対象になるかもしれませんね。そこで先に伝えておきますが、私は今も毎年必ず神社に参拝しますし、家族の無事を願う祈祷も受けています。当然ですが神社側にお金を収めているわけで、言い換えれば「神様」という存在を自分自身で信じていることの証左です。

 

さて、今回の内容は、いったいなぜ日本人の大半において、無意識のうちに「神様」への信仰心が根付いたのかをざっくり切り込んで解説していきます。(学校の教科書レベルでは触れられないような内容も含めていきます。)

 

明治政府が創り上げた「神道」の国教化

 

皆さんは社会や歴史の授業で、『王政復古(おうせいふっこ)の大号令』いう用語を習った記憶はありますか?

 

その中身まで詳しく知っている方であれば、この先の内容は読まなくても良いかもしれません。しかし教科書レベルであれば、その記載以上のことが実際に起こっていたわけですね。

 

さて、『王政復古の大号令』とは明治政府が発足して初めに掲げた政策ですが、正しいニュアンスで言い換えれば日本国民に対しての政府の洗脳的策略です。

 

時代は慶応から明治へ移行し、新政府が理想としたのは「祭政一致(さいせいいっち)」への回帰でした。要するに、古き良き時代への原点回帰みたいなものです。ちなみに、この祭政一致とは神武天皇の政治を指します。

 

はい。皆さん、この意味がわかりますか?

 

神武天皇は、歴史上でも馴染み深い固有名詞ですよね。日本の初代天皇とされています。ただし、これはあくまでも″設定”です。要するに、神話上の架空の人物なわけですね。明治政府がこの架空の人物の架空の政治(すなわち、祭政一致)に原点回帰すると宣言したのです。それが『王政復古(おうせいふっこ)の大号令』の真意です。

 

そして、架空の初代天皇と架空の理想論を全面に押し出して、明治政府が最終的に目指したのが「神道(しんとう)」の国教化、すなわち日本を「神の国」に変えることでした。このあたりは宗教的なテーマであり、教科書の多くで触れられない内容ですが、専門的な文献では常識です。そして私も包み隠さず記事にします。

 

もう少し具体的に述べていきますね。

 

祭政一致の思想

 

祭政一致とは、その名の通り、祭(まつり=宗教)と政(まつりごと=政治)が一元化していることを指します。これはつまるところ、政治的指導者と宗教的指導者が同一人物となる体制です。これを神武天皇が実施したという架空のストーリーが言い伝えらているわけです。

 

なぜ、明治政府が、架空の思想を用いてまで「神道」を国教(日本の公式的な宗教)化しようとしたのか?

 

答えは単純です。

 

宗教を全面に出すからには、理由はもちろん別の宗教にあるわけですね。

 

当時、海外からのキリスト教の流入が凄まじい速度でした。隠れキリシタンなんて表現も最近は世界遺産絡みで騒がれるようになりましたが、実際に仏教や神道派の日本人が少しずつキリスト教に染まっていったのです。貿易を積極的に行って近代化を図る中で、この変化は必然的だったのかもしれませんが、、、。

 

そこで、明治政府は日本古来の文化が失われていくのを懸念し、まずはキリスト教の普及を阻止するために、「神道」こそが日本古来の宗教であるという宣教活動を全国展開で行ったのです。要するに、庶民の信仰心を政府によって強制的に上から塗りつぶすという荒業に踏み切りました。

 

ここでもう一つ弊害が出ました。皆さんも御存知の通り、日本には聖徳太子の頃から「仏教」が浸透していたのです。日本古来の宗教が「神道」であるならば、仏教とは何ぞやとなるのは当然ですよね。むしろなぜ初めから「神道」ではなく、「仏教」を国教化しなかったのか?

 

その答えも実に単純です。

 

「仏教」は大陸から伝わった信仰であり、そもそも日本の始祖とは関係がないのです。ですから、異国のキリスト教に対して日本固有の宗教として戦うには、「神道」しか選択肢がなかったわけですね。

 



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神仏分離という悲しい結末

 

明治政府は、この祭政一致に向けてもう一つ重大な決断をしました。

 

政治的な統治者が、「神道」と「仏教」の両方を信仰していたら、宗教的統治者としての示しがつきませんよね?結論から言いますと、後者を切るという極端な選択をしたのです。

 

現在の私達の感覚では、家には神棚もありながら仏壇もあり、神社に行きながらお寺にも参拝する。これは別に普通のことだと思います。これは学術的には「神仏習合的信仰」と呼ばれます。神も仏もどちらも敬うといった、日本人独特の感性でしょうか。実はこの発想ができるのは、現代においても日本を含めた一部の国だけです。

 

つまり、そのごちゃまぜになってしまった宗教では説得力がないので、政府は『神仏分離』に踏み切ったわけですね。これにより、残念ながら日本では多くの仏閣に関する文化財を失う事になるのですが、それは次の記事で解説します。

 

今回の要点は、日本人の「神様」への信仰心が、明治政府によって強制的に浸透させられた後発の文化であるということです。知らなかった方は驚いたのではないでしょうか?(ちなみに私は衝撃でした、、、)

 

それでは次回お楽しみに!

 


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明治時代の【神道】国教化と廃仏毀釈で、政府に消されかけた【仏教】の運命