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仏性と宇宙
こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。
はい。さっそく出だしから意味不明な見出しですね。
「仏性と宇宙、、、?遂に気でも狂ったか、、、」
いえいえ、違うんです。
道元の教えを理解するには、宇宙が関係してきます。道元は非常にロジック野郎なお坊さんですね。
ということで、道元がなぜ仏性と宇宙をつなげたか、かなり砕いて解説していきます。(ですが、ここからは本当にコアな部分なので、少々意味不明かもしれませんが、、、。)
「いや、意味不明ならもういいから、、、。結論だけ教えて!」
そうですか、、、。かしこまりました。それでは結論を述べます。
私たちの全てが宇宙の一部である、ということ。
大丈夫ですかー皆さん(笑)ちゃんとついてきていますか?!しっかりついてきてくださいよ!
道元は、根っからの理系の発想(科学者思考)の持主であったと考えられます。当時(西暦1200年頃)は望遠鏡も何もない時代です。その時代で、すでに空の彼方の宇宙の存在をしっかりと認識し、自分たちはその大きな宇宙の中の一部に過ぎないと説いているのです。
わかりますか、この感覚が。はっきり言って相当な異常者ですよ、周りからすれば。
ちなみに、紀元前の人々は、海は地平線の彼方で崖のようになっていると認識していました。船で何も見えなくなったらそこからストーーーンと落ちて死んだと思われていたのです。
同じような理由で、私は子供のころに、なぜ月がいつも自分についてくるのか不思議で仕方がありませんでした。隠れたりして月を撒こうと何度も試みた記憶があります。さらに何を思ったのか、保育園児の頃すでに親や先生すら撒こうと考えたくらいです。お昼寝の時間までに靴を外に隠しておき、みんながお昼寝で寝静まったらこっそり起きて保育園から脱出。そのまま本屋さん直行して絵本を読むという偉業を何度も達成したくらいです。今振り返るとよく生き延びたと我ながら感心します。
おっと、全く関係ない話に脱線してしまいましたね、、、。
まぁ、話を戻しますが、1200年代当時は宇宙なんて発想は基本的に庶民にはありません。その頃に、道元はこう主張しました。
「全てが宇宙(この名詞自体は当然ありませんでしたが)の一部なんだから、宇宙からすれば、あなたも私も同じ宇宙でしょ?」
はい、目が点と思いますが、ここで『正法眼蔵』のこれまでの解説を思い出して下さい。
私たちの悩みや辛いことはすべて仏の中(悟りの中)での出来事であって、その仏の世界の中にどっぷり漬かっているだけで良い、そのまま身を任せなさいと道元は言っていましたよね。
つまり、仏という大きな世界観を打ち出したわけですが、それは物質的には宇宙の中なわけです。道元は、仏=全宇宙と見なしてしまいます。
「仏が宇宙って、、、、何よその無茶苦茶な発想、、、」
驚きですよね。私もこれを知った時は衝撃的でした。しかし、いいですか皆さん。仏教においてここが本当に重要なんです。我々の先入観としてある仏教は、その大半が誤った既成概念といっても過言ではありません。
現代の「宇宙」という単語を、道元は当時「仏」と言っていた、と思って差支えありません(極論ですが)。
もう一度整理しましょう。
宇宙全体が仏性なわけですから、私たちは仏性(宇宙)の中で生まれ、育ち、死にます。要するに、生きていても死んでいても私たちは宇宙(仏性)なんです。
つまりは、私達は常に、どんな時も、仏性なわけです。
「人間はもともと仏性を持ち、そのままで仏である。」という仏教の根本的な理論に対し、道元が「それではなぜ仏になるために、皆でわざわざ修行しているのか?」と問いた過去の記事に繋がります。
私たちはいつ何時も仏性であるのだから、仏になる人が悪いことなんて当然してはいけないよ、と庶民に伝えたかったのです。
仏″様”という誤った解釈
それでは、現代人はなぜ、この仏教を正しく理解していないのでしょうか。
私自身もお坊さんのイメージだけが先行し、死んだ人のあの世的な考え方しか知りませんでした。学校で習ったわけでなく、何となく親や祖父母から伝えられてきた概念です。
勿論、大きな意味では間違ってはいませんよね。仏様は仏様ですから。
しかし、亡くなった家族や先祖、お釈迦様だけが「仏様」なのではなく、皆が宇宙(仏の世界)で繫がっているわけです。生きている、死んでいるとは、人間の都合で作った物質的な定義でしかありませんから。長い年月が経過しているだけで、お釈迦様(インドの仏陀本人)も、私達の先祖も、私もあなたも、宇宙という世界の一部分であり、同じ宇宙のひとつなわけです。
その宇宙全体が大きな大きな仏なわけですから、私やあなたの中のちっぽけな悩みなんて、身を委ねてしまっても大した問題ではないのです。むしろ問題ですらありませんよね?
これに気付くこと自体が、道元の唱える「悟り」です。
「生きるときは精一杯生きる。病のときは精一杯病人になる。死ぬときは一生懸命に死ぬ。」
皆さんも、道元が伝えたかったこと、そして仏教の本質が何となくわかった気がしませんか?
合掌。
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