【四十九日】【七七日】法要の意味を正しく理解するためには、死後の世界観を学ぶ必要がある

仏教



七七、四十九日の意味

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

前回の記事で、葬儀後の代表的な法事である七七日(しじゅうくにち)法要について触れました。

 

実は、日本人の多くはその意味を理解していないのではないでしょうか。皆さんも法事に出向くことが多々あるかと思いますが、いったい何のためにこの七七日法要を行っているか考えたことがありますか?

 

ということで、今回は気分転換に少し脇道を歩きましょう。テーマは七七日。

 

実は、道元も『正法眼蔵』の中でこの七七日を解説しています。

 

これまでのシリーズを読まれた方は既に御存知だと思いますが、道元は非常に理論的な持主の僧です。つまり、ロジックが成立していなければ納得しません。しかし、興味深いことに、道元は死後の世界があると説明しています。不思議ですよね?死後の世界こそ、まさに科学的根拠がありませんから。

 

道元も、やはり一人の人間であると安心させられます。当時の道元に直接聞いてみたいような気もしますね、死後の世界を。

 

話を戻しましょう。結論から述べますが、七七日法要の発想は仏教が始まりではありません

 

「え、、、?違うの?」

 

はい。それが正常な反応です。私もそうでした。

 

仏教の発祥は周知の通り、お釈迦様(仏陀)のおられた古代インドです。実は、この七七日法要はさらに大昔のインド人が考えた死後の世界観と言われています。要するに、仏教はその考え方をそのまま踏襲したわけです。

 

ここでは、私が簡単に説明します。

 

①死者は七日目に死後の世界で審判を受け、その結果に基づいて次の生となる。

 

②一度目の審判によって来世が決まらぬ者は、その七日後に二回目の審判を受ける。

 

③二回目でも決まらなければ、三回目、四回目、、、と七日間置きにに再審。

 

どんなに長引いても、七回目の審判で結審する。

 

この①~④にまとめた七回の審判×七日間で七七日、つまり四十九日となるわけです。つまり、死者の全てが49日間必要なわけではない、ということがポイントです。生前の行いが良ければ、早期決着も十分にあり得るわけです。

 

(実は、これを知らないお坊さんも大勢います、、、。)

 

ちなみに、仏教界ではこの49日間のことを「中有(ちゅうう)」や「中陰(ちゅういん)」と呼びます。

 

①で次の生と言いましたが、次の人生、というわけではないんです

 

「ん??ってことは何の生?」

 

結審の種類を下位から挙げると、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天となります。人に生まれ変われるのは、なんと上から二番目の難易度ですよ、皆さん(笑)

 

「生まれ変わってもまたあなたと巡り合いたい」

「前々前世から君を探し続けた(←有名な映画の主題歌)」

 

なーんて甘いフレーズは、双方が相当な良識ある人生を歩み、死後の審判で人に生まれかわることを認められ、また次の人生でも、、、、と過酷な条件をクリアしなければいけないのです。

 

言い換えれば、これを読んでいるあなたは現世では人ですから、前世は相当まともな人だったことになりますね。あなたは死後、いったい何の審判が下るのでしょう。(私は多分人は無理なので、何とか畜生あたりで留めたいところですが、、、。厳しいかも、、、。)

 

ちなみに畜生とは、家畜のような動物を指します。

 



道元がなぜ死後の世界に触れたか

 

理論武装の僧侶であった道元がなぜ死後の世界について、文章であえて述べる必要があったのでしょうか?

 

実はその最もたる理由は、民衆のためでした。

 

死後の世界が無ければ、現世が無法地帯になると考えたからです。要するに、私達の生存はこの世だけで終わるわけではなく、来世にまで続くのだから、そういう気持ちで生きなさいということを言いたかったわけです。

 

自暴自棄を防ぎたかったわけですね。

 

「自分が死んだあとのことはもう知らん!」

 

なんて今の時代でも聞く言葉ですが、道元はそのような道心(前回の記事で触れています)のない人間を少しでも減らしたかったんです。

 

ひとつ余談ですが、両親あっての子供、という考え方は仏教にはありません。その真逆、赤ちゃん側が父と母を選ぶと言われています。空の上から見ているわけですね。自分の父と母にしたい相手をよく吟味して、性行為の瞬間に父親の精子につかまって母親の胎内に入るとされます。

 

意外ですよね、この考え方は。しかしこの証拠として、道元は以下のように述べています。

 

中有が終わって、次の世に生まれるために、その次の世で自分の父母になってくれる人に近づく時も、しっかりと心して、正しい智慧を持って母親の胎内に宿るべきだ。その母親の胎内にあっても、三宝への帰依を唱えるがよい。出生の瞬間においても、三宝への帰依を唱えることを怠ってはならぬ。六根全体でもって三宝を供養し、帰依を唱えたてまつらんと深く願うがよい。

 

ここで出てくる「三宝」も仏教では重要ですので、また別の機会に述べようと思います。

 

さぁ、次回の記事からは遂にシリーズ後半、道元の教えの核に迫っていきますのでお楽しみに!

 

合掌。


 

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