お坊さんを信用できますか?その御布施は高すぎ?人格者の僧侶を見極める必要が出てきた現代

仏教



仏教の本質と、現在の寺院の乖離

 

こんにちは、婿殿HIRO(@donomuko16)です。

 

早いもので、道元の教えをシリーズ化して半月で10記事目となりました。はじめから読んでいただいた皆さんは、仏教の既成概念が大きく変化したのではないでしょうか。

 

私は一般の方が難しい文献を読まずとも、この仏教(仏法)というもの根本的に何を説いているのか、ざっくりで良いので理解できるよう簡単に解説してきました。

 

皆さんも御存知の通り、世の中にはたくさんの宗教があり、仏教についてもそこから多くの宗派が現存しています。宗派が違えば開祖が違うので、ニュアンスであったり価値観であったりが異なるのが実情です。

 

インターネットを使えば仏教に関する膨大なサイトを検索できますが、過半数は自分達の宗派への勧誘目的であることが多いです。誰も言わない(言えない)ので私があえて触れますが、現在の寺院の多くはビジネス化しています。要するに、金を稼ぐことが前提なわけです

 

お坊さんに渡すお布施がその代表例ですが、はっきり言ってしまえば、根拠が無いレベルで高額すぎます。死者があの世で名乗る目的で「戒名」を与えるわけですが、これは基本的には文字の量とお布施の金額が比例すると言われており、実際に事実です。

 

戒名の仏教における本来の意味は、その者の人柄を意味します。本来であれば、ですが、、、。残念ながら、現在ではお布施の金額(要するにお金を積むということ)次第で、戒名はいくらでも立派なものになり得ます

 

その人の評価は、死後、遺族が払ったお布施の額で決まってしまう。本当に誰も怖くて口に出しませんが、これが現在の在り方です。墓石に掘られる戒名は、数世代後の子孫たちが見るわけですよね?このままで良いとは到底思えません。私の周りの地域でも、戒名代に数百万円も請求していくるお坊さんが実際にいます。この金額の根拠をその寺院はどう説明するのでしょうか?

 

加えて、お布施自体の起源も、単なる戒名代やお寺への寄付としての位置付けてなく、身銭を切るという自分自身の修行という意味です。このことを理解している日本人がいったいどの程度いるのか疑問です。(大半のお坊さんは、このことを知ってか知らずか広めようとしませんが、、、。)

 

私がなぜこのように現在の寺院の在り方を批判的に書くのか。繰り返しになりますが、誰も怖くて言葉にしないからです。仏様から罰があたるなどの根拠のない理屈で奉り、お坊さん達を天狗にしてしまったのです

 

これまでのシリーズを読んで仏教の本質を学んだ皆さんは、お坊さんに意見したら仏が罰を下すという馬鹿げた発想になりますか?開祖である道元が庶民に伝えたかったことを思い出して下さい。決して、ビジネスとして考えたわけではありません。

 

もちろん、現在でも人間として本当に立派なお坊さんもいらっしゃいます。私もこれまで少ないですが出会ったことがあります。しかし、お坊さんも元は人の子です。育った環境によって人柄が決まってしまいます。立派なお坊さんというのは、お坊さんだから立派なのでなく、そもそもが人格者なのです。この根本的な勘違いを、日本人は早く知るべきだと思います。

 




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仏教の本質を、日本人が正しく理解する

 

大胆な予想ですが、日本は将来的に仏教自体が衰退すると私は思います。理由は明確で、誤った解釈が横行し出したら、未来がないからです。

 

皆さんはあまり認識していないかもしれませんが、仏教信者から神道(しんとう)やキリスト教、イスラム教などへ改宗する地域が実際に増えてきています。この要因の多くは、檀家と菩提寺(先祖代々の供養をお願いしている寺)の関係悪化にあります。

 

つまり、お坊さんが天狗状態で悪行し、数十年は親族みんなで我慢したけれどもさすがに愛想を尽かして縁を切る世帯が出てきたわけです。お金以外にも、女、酒、暴力と悪行を働くお坊さん(このような人間はさん付けにも値しませんが、、、)が実際多くいます。

 

いいですか、皆さん。これが日本の寺院の現実です。

 

私は仏教の本質さえ正しく理解されれば、大勢の人々が誤った解釈を捨てて、本当の意味で仏と向き合っていけると考えています。ですから、皆が内心思っているけど絶対言えないことを、批判覚悟で発言し続けます。少しでも多くの方が、正しく学び直してほしい。線香をあげて、手を合わせてお祈りして、言われるがままにお坊さんに大金を支払うといった、無知が及ぼす哀れさを知ってほしい。

 

私は道元の教えに心から共感しています。このシリーズも布教活動などの類でなく、そもそも誤って宣教されている日本人の多くに、仏教(仏法)の本質に気付いてもらいたいためです。

 

悪事を思いとどまれるか

 

我々は誰しもが人生の中で悪事に関わります。

 

「自分は悪いことは一度もしていない!!!」

 

一瞬でもそう思った方は、まだまだ世の中の本質を見る目が養われていないようです。これについても道元は「諸悪莫作(しょあくまくさ)」という節でしっかりと庶民に説いています。仏教の本質を学んでいく過程で非常に重要な内容となりますので、次回の記事でしっかりと解説していきますね。

 

道元は、「悪」を通して何を伝えたかったのか。

 

つまるところの、仏教とはいったい何なのか

 

いよいよ最終局面に突入です!

 



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【仏教】は意外と現実主義?!善悪はケースバイケースでOKという道元の解釈の真意